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俺とスポーツ Part2

2011/04/22




【中学生時代】
卓球との出会い、始めたきっかけはPart1をご覧になった皆さんはお分かりであろう
小学6年生の終わりごろ、こどもの家と呼ばれる施設の管理人のおばちゃんとのラリーが楽しかった それだけの理由である。

中学1年生の春 部活動見学があった。
俺は真っ先に卓球部に行った。 どうやら自分の通っていた学校は市内では強いんだとか
顧問の先生と初対面 かなりのデブだった。 それはもうめっちゃ食べそうだし重そうだしとにかく動けるデブではないだろうっていうほどの。
その先生は1年生を集めて
「見学してる1年生集合ーこの台で打ってみていいぞー」
ラケット数本とピン球を用意していた。 その台に卓球部の人が入って1年生が交代で打っていく
俺の番が来た 自分はシェークを選択した これは事前に打ったことがあったからわかる 俺はこっち派だと。

先輩とラリー 結構続いた
先生に「時期エースはKUHN君かな?」と言われたのを覚えている
この言葉は忘れない この時点で名前を覚えてくれたしこの先生ならいい。そう思った瞬間でもあった。

5月に入ると部活動の本登録が終わって本格的に活動スタートとなる
1年生を集めてのミーティング
自分含め11人が入った 卓球部女子もあって女子は女子で同じくらい入ってたみたい
先生の名は「浅野」という 先ほども記述したが第一印象 デブ な先生だ。

先生は各自戦型をズバッと独断と偏見で告げていった。
自分は「カットマン」と言われました。
なんだそれって感じでした 床屋かよ的な
正直ラリーが少しできるだけで知識とかそういうのは全くなかったんで日々勉強の毎日でした。というかいつの間にか勉強してた
ちなみに俺の戦型

カット主戦型( - しゅせんがた)は、卓球において相手の攻撃(ドライブ 、スマッシュなど)を下回転(バックスピン)で相手に返す、卓球の戦型の中でも独特な戦型である。日本ではカットマンとも呼ばれる。

ようするに防御型。性格的には絶対にマッチングしない。
俺はスポーツでの性格は完全に主人公タイプの熱血漢だからだ
イメージクールな相棒みたいな戦系俺に合うわけがない
と そこまでは考えなかった なんてったってカットマンが守備型ってことすら知らなかったんだから。


カットマンとしての指導が始まったのは基礎が固まり始めたころだ
壁打ちやラリーの速度もだんだんと初心者から遠ざかってきたくらい

カットマンの先輩のプレイを見てて思ったが なんだこれって感じだった。
普通卓球っていうのは上から前に叩くものだと思ったいた しかしカットマンは 上から下にラケットをチョップして返すという打法が当たり前っていう なんていうか自分のイメージが崩された感じだった。

実際にやってみるとわけがわからなかった なんであんな打ち方で台に入るのって言う
しかし先生の指導はやはりすごい その日のうちに入るようになった
ちなみに我々の学校はマシンがおいてありそれを使って練習することができた
マシン練習は本当にスキルアップにつながる
とりあえずその日はフォアカット(自分より右の球を返す時に使う打法)を覚えた。

フォアカットを1週間くらい練習してたらとうとうバックカットが解禁
先生の話だとバックカットは7割使うことになるからよく練習しとけとのこと
で 先生が手本を見せてくれるんだけど
なぜこの巨体がこんな機敏に動く…。
先生は化け物でした。

で バックカットなんだけど
イボ高っていうラバーでして…これが難しい…。普通に打つと落ちるんだよねー。
慣れるまでかかりましたよええ。 カット以外にもつっつきっていう打ち方やら色々あって本当に練習練習また練習の毎日
ちなみに部活は休みなし 土日も練習ありました あったとしても1ヶ月に1~2回だったかな。

当然のことながら校内ランキング戦があります。
強いものがレギュラーの座を獲得するのは当たり前
全体で上位6位に入らないとまず団体戦で試合は出れません

まぁ普通は1年がレギュラーとか経験者でない限り無理ゲーです
越前や跡部は小さいころからの経験者だからあんなことができるんです
いわば俺は白石スタンス 努力する凡人。正直恵まれた運動神経ではなかったです。

最初のランキング戦は1年生のみでやりました
結果は3位。上位2名はちょっとした大会に出れるってことだったんですが残念ながら負けてしまいました。
皆さんもご存知だと思うけど 俺はハイパー負けず嫌い。こんな結果で満足するわけないっす

3年生が引退して2年生が主になる時期
我々1年は基本的に球拾い 先輩のプレイを見ながら球拾い

余談なんだけど自分はモテ気が終わったとなんどか言ったことがあったと思う
その最後のモテ気がこの中学校生活だったのだが
卓球部女子の先輩らにめっちゃ囲まれたっていうかなんていか…
当時の俺はそれが迷惑だったことしか覚えてない しかし今となっては もったいない

当時いやな先輩がいましてね 当時って言うか今も嫌いだけど
めっちゃ偉そうにする人って絶対いるじゃないですか そんなやつに目を付けられたわけですよ
女子に囲まれてたからとか生意気だとかで まぁ実質はむかってましたけどね うざいやつはうざいんで^p^
そんな中先輩の中にはすごい人もいて 市内で1位と2位っていう…
その先輩は毎回決勝戦で当たってるっていう ダブルスの大会でも無双してた

ちなみに言い忘れてたけど 浅野先生はこの中学校に10年いたってことでほかの学校に行ってしまったんです
浅野先生の指導で全国に行った先輩もいたって話しだったんですが本当に残念でした。
後々語ることになりますが顧問には本当に恵まれなくてですね この先生からの指導が3年間あれば俺はもっと強くなっていたと言えます。
浅野先生にお世話になったのは実質1年間だけ 自分らが2年になったときには顧問が変わってど素人の先生がきました この人はいるだけでこれから先の指導がないので俺らの世代は自分らで開拓していく感じでした。


先輩らの最後の試合 団体戦は結局西三河で負けてた気がする
結局2本強いだけで他が微妙だったから仕方ない
強かった先輩2人は県大会には出場してた気がする。その先は不明




そしてようやく 俺らの時代が来ます!!!







続く


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