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中学の同級生の男なんだが 早くね!?
7つ上とか言ってたな なにがあった 左手薬指に指輪あったぉwww
周りみんなリア充になったきたwwwww


計画通り



さて そろそろ新しいPCを買うときがきたか





【高校生編】

受験勉強地獄を終えて無事に高校に入学
当時某男性声優さんが通っていた高校からスポーツ関係でお呼びがかかってたんですけどなんだかよくわからないですが蹴ってしまった。今では後悔している。
自分がこの高校を選んだのは卓球の団体で東海大会まで出場していたからだ。

部活見学の日
とりあえず卓球部を見に行こうと思っていた。
しかし体育館に向かう途中バスケ部やバレー部に勧誘をすごい受けた 当時身長175cmくらいあったのかな ちょっと体力テストの記録見直しておきます。
そんなメジャーなスポーツの勧誘を押しのけ 卓球部へ
だれも勧誘なんかしないで黙々と球を打っていた。
俺はすぐに悟った 東海大会に出たのはこの人らだと
それは3年生だった 中国式ペンというラケットがあるのだがそれはペンだけど裏面にもラバーを貼れるといったラケット
ペン持ちで裏面打法を当たり前にやってのける

3年生は2人飛びぬけて強い人がいた
一人はペン表、前陣速攻型のK先輩
もう一人は上記にも記述した中ペン(中国式ペン)のT先輩

2年生は一人俺と同じ中学の先輩がいた けどこの人はそれほど強くないのでまぁスルー
もう一人中ペンで異質ショート型の先輩がいて その人は今後お世話になることになる。

そして1年
俺以外は中学から卓球を経験してきたやつらだったが強くないやつらばかりだった。

監督はよくわからない人 あまりいい印象は受けなかった。


練習がはじまる 1年だが球拾いとかはなしで打つことができた
最初の大会の参加者を決める試合があった。1年生は総当たり戦で1位になった人を参加させてやるとのこと
当然のように俺が1位になった。正直同学年は物足りなくてつまらなかった。

大会当日
俺は先輩に混じって参加
西三河のトーナメントだ 当然市内の大会なんて規模の小さいものではない
高校になると西三河からスタートになる。

1回戦、2回戦はストレート勝ち
3回戦どこぞの高校の1番強い人とあたった でも3-1で勝てたっていう
4回戦 強い高校のレギュラーとあたる。 さすがに有名な高校ってか俺を特待で呼んだ高校
強い…。なぜ俺は特待を蹴ったんだ 特進と間違えるなアホんだら

結果3-2で負けました…。めっちゃいい勝負したんだけどなー ドンマイ!

そんで我等が東海レベルの先輩はというと
2人ほど西三河ベスト16に入ってた やはり有名な高校が独占していく
てか高校のレベルを思い知らされた。 自分はこんなんじゃだめだなと
この大会の後さらに卓球熱が燃え上がる。



3年生たちの最後の夏の大会
団体戦は4人いれば出場できる
ダブルスでシングルスの人がかぶることが出来る
よってレギュラーは4人でOK 3年生はちょうど4人なのでこの時点で試合にでれるのだ
しかし6人まで連れてけるとのことで校内ランキング戦勃発
つまり3年生との最後の試合

東海レベルの先輩と戦うことになった。
俺は3-1で負けた やっぱ強いっすわ先輩…。
もう一人先輩にも3-1で負け
県レベルの先輩には3-2で負け 一人3年生の中 いやレギュラーの中では一番下だった先輩には3-1で勝った。
しかしレギュラーは3年生4人 +自分と2年生の先輩になった


大会当日 俺らの県大会出場は当たり前のように決まった

県大会、東海大会に行くために立ちはだかる壁
愛工大名電。杜若。

愛工大は野球で有名だが この時卓球でも全国3位というめちゃくちゃ強い学校なのだ
そう 県大会は実は鬼のような激戦区

愛工大名電、杜若、他にも強いやつらがうじゃうじゃいた。
よく考えてみたらそうだ、自分が中学1年の時を考えれば2つ上の先輩がいるわけだ
案の定、県大会で自分の中学校の2つ上の先輩を見つけた。
その先輩は中学3年生の先輩の中では1番強かった先輩 自分は小学校から同じのなじみのある先輩である 
そして面白いことに
今の3年生の先輩VS中学時代の3年生の先輩が対戦することになった。
無論自分はその試合の審判をやることにした。
中学時代の先輩は東海レベルの先輩のことを知っていた
やはり有名だったらしい そして試合が始まった。
なんとも複雑な気持ちだったが 勝負は3-0
K先輩が勝った しかし11-9 11-8 11-8 という接戦だった。
俺はその試合の審判ができて感動した
これが高校生の試合だと。 自分がまだまだ弱っちいと改めて思った。

次の学校との対戦
なんと俺が試合に出ることになった。
試合の順番は1番目 今まで5番だったのにいきなり1番とはなんとも不思議な感覚だった。
相手は3年生だった 試合は3-1で俺の勝ち
先輩たちには負けてもよかったのにw みたいなこと言われた気がするw
結局その試合も勝って次の試合

愛工大名電
当時全国3位の実力があった名電 そうここで全国区を思い知らされる いや愛知県の恐ろしさを実感することになる
俺らのチームは本気オーダー
シングルス1 F先輩 県レベル
シングルス2 K先輩 東海レベル
ダブルス1  K先輩&T先輩 東海レベルペア
シングルス3 T先輩 東海レベル
シングルス4 S先輩 県レベル

俺は審判だった まぁ当然である


1番の試合
F先輩はシェークのドライブ型
相手はフォアが表バックが裏の昔では変わったタイプの選手
今で言う福原愛ちゃんと同じ型だ
試合結果は3-0で先輩の負け 自分は試合見れなかったのですが圧倒的だったとのこと

2番の試合こっちの審判を自分はおこなった
K先輩の試合
結果は3-1で負けてしまった
しかしなんていうかレベルの違う試合だった 高校生こえーみたいな

3番ダブルス ここで負けると俺たちの学校は負け
試合結果は3-0で負けてしまった。


先輩たちの団体戦はここで終わってしまった
K先輩は試合が終わった後泣いていた

結局私立の学校が東海大会への出場を決めていた
上位4校は東海大会出場決定
その中から上位2校は全国が決定される。 愛知はとにかく激戦区だった





団体戦は終わってしまったがまだ個人戦とダブルスの試合がある。
ダブルスまであるとは高校生の試合は豪華だな

そしてシングルスの試合
これはほとんどの高校生が試合に出ることが出来る 無論自分も出場
参加選手はとんでもなく多いことになる


結果は
3年生はS先輩を除いて県大会に出場が決まった
そもそもベスト64までしか県大会にいけないよっていう
え 自分? 名電とあたったってばよwww 3-0でフルボッコされました
ちなみに名電に勝てば県にいけた S先輩は杜若の2年に負けてた 大会はあたり方も重要である

県大会出場した先輩らは結局名電、杜若にあたって負けてしまった ダブルスも同じような感じであった。
あんなに強い先輩でも県大会で負けるなんて 本当にひどいもんだとおもった。
ちなみに上位ベスト16は名電と杜若が総なめ これはひどい。
県出場もほとんど私立でした


3年生の先輩が引退して2年生と俺たちが主体の1年が始まります。






【中学生時代】

2年になった俺たち
そして3年生も引退 ようやく俺らの時代が来ました!!!
後輩もいたけどそこは省略 顧問もなんもしないし俺らが教えてたんだけど正直自分らで必死だったんで ええ

ここらで我々同年代のメンバーの紹介でもしましょうか

キャプテン 白井 シェーク ドライブ主戦型 
副キャプテン 石川 ペン 表ソフト速攻型
俺 シェーク カット主戦オールラウンド型
南 反転式ペン 異質ショート型

K ペン ドライブ主戦型
S シェーク カット主戦型
K シェークドライブ主戦型
N ペン 表ソフト速攻型
I 反転式ペン 異質ショート型
N ペン ドライブ主戦型
N シェークドライブ主戦型
K 反転式ペン 異質ショート型

あれ、11人じゃないの?って話になると思いますが あとから1名増えたんです。
てかこれ特定されるわ まぁいいや。

まぁこの中でレギュラー争いが繰り広げられるわけです。
最初に言っておくと 自分は校内ではへっぽこでした^p^ カットマンと練習してるとカット打ちよゆーみたいになるんですよねー
だからみんな俺の戦い方になれちゃってそれはもうやりにくかった

もうそろそろ紹介してもいい頃だろう。
キャプテンの白井。彼は最大のライバルでした。と勝手に俺が思ってます
彼とは幼稚園からの仲なんですが、てか今でも付き合いあるんですが
こいつのセンスは半端なかった 悔しいんであんまり言いたくないんですが 俺は白井にランキング戦で一度も勝ったことがありません。 どや顔。
ゆえにうちのチームのキャプテンはこの男しかいなかった。
そして副キャプテンの石川。彼は校内だと1位か2位にあたる選手だ。
俺の苦手な表ソフトの前陣速攻型 彼もまた頼れるチームメイトである。

校内のランキングはさておきはやり校外の大会が大事であるわけで。

新人戦 団体戦
俺たちのチームは市内で1位になった
1年間 たった1年ではあったものの浅野先生から受けた指導は本当に身になっていた。

個人戦 
結果だけ書き出すと
市内で 1位 白井 2位 S こんな感じになった。
自分はベスト16だった。あと1回勝てば賞状だった。

せっかくだから書いておこう。
俺は浅野先生が去った年からプレイスタイルを変えたのだ。
これは教頭先生の指示である。 教頭先生はカットマンの東海チャンピオンだったそうで 浅野先生の言いつけを無視してイボ高を剥がし両面裏ソフトラバーに変えたのだ。
もちろん初心者に戻った気分だった。 イボ高と裏ソフトはぜんぜん違うラバー。
今までやってきた1年がすべて無になるような感じだったが教頭先生に逆らうことはできず裏裏のカット主戦のオールラウンダーとして生まれ変わったのだ。

まだ慣れていない裏裏のラケットでよくやったなと思った。



卓球の大会は1ヶ月に2回くらいあったりする。時には地元から離れて大会に出たりもした。

当然練習をしているわけだから 裏裏も慣れていく。

結論から言うと
自分は県大会でも通用するレベルに育っていた。俺は密かに近辺の中学校には知られていて
県で会うトップレベルの選手にも話しかけられたり 仲良くなったりした。
かといって 無敗なんてことはない。 校内では相変わらずぼろぼろ 市内でも他校で強い子はもちろんいて負けることはある。
でも 改めて思うが 俺は楽しんでいた この地味でたいしてかっこよくもないスポーツを。
部活以外にもクラブに参加し社会人の人と打ったりして少しずつだがスキルアップをしていた
これというのも校内のランキング戦 これで上位を取りたかったからだ
影で努力 ひたすら努力 今では考えられないほど俺は頑張っていたと思う。



俺らは3年生になった
最後の校内ランキング戦

この頃には色々と変わっていた
昔強かったS 彼はだらけてしまいやる気がない状態になっていた おそらく顧問となにかあったのだろうが詳しい事情はわからない。
大きく変わったのは 俺である。

校内でいつも6番くらいだった俺が 2位になった 2年生の後半から努力が報われ3位以上にはいるようになっていた。
1位はやっぱり白井 今でも悔しい でも校内にここまで強いやつがいると心強いのは確かである。

1つ大きな大会に出ることになった。
全国の選手が集まる大会だ 俺は愛知県代表に選ばれた
白井と石川も選ばれた
しかしやはり全国大会。恐ろしく強い連中が集まっていた
その大会には今プロで活躍してる女子の選手もいた。石垣というカットマン この名前は頭の片隅においておくのもよいだろう。
ちなみに我々は1回戦負け 自分は栃木の永見という子に負けた 今でも覚えている。俺は負けた原因とか色々彼に聞いたのを覚えている 俺みたいなへっぽこを相手に色々とアドバイスをくれるのはうれしかった。


中学時代最後の公式戦
団体戦は市内で優勝 西三河の大会に出場決定
個人戦、俺はこの試合は本当に記憶に残っている
3回戦突破すると西三河に出れるのだが 3回戦まではすべてストレート勝ち
4回戦、某強豪校K君とあたった。
彼は白井と互角のレベルのドライブマンである 県でも名前の知られている子である

試合は学生時代の卓球ノートと呼ばれるものに書き込んでいるのでそれを確認すれば点数とかわかるのだが今回は省略。結果だけまとめると
フルセットのすえ負けました。 最後はみんなのわかりやすい表現だとタイブレイク 11本とれば本来終わりなのだが
最後の5セット目は18対16くらいまでの戦いだった。

その試合は他校の顧問、ほかの選手、大勢の方が注目していた。
試合の終わった後いろんな人に声をかけられた
「いい試合だったぞ!」「惜しかったな、ナイスファイト!」等々本当に注目されていた
試合には負けてしまったが本当に心に残る名勝負をやってのけたと思う。

しかしこの試合に負けても西三河への切符は持っているのでまだ終わりではなかった。

西三河大会
団体戦は 結論から言うと
某強豪校 Kくんのいるチームと勝率が重なり直接対決となった
1番相手 相手チームの一番強い東海レベルの子がきた
こっちは言い方悪いが捨て駒の子が相手に当てた 理由は彼に勝てるメンバーはうちにはいないから こういう化け物が愛知には結構多く存在する。
これは予想通りの展開。
2番てはK こっちは白井が出た
Kと白井は上記にも記述したが レベル的には同等
しかしさすがは我等がキャプテン 3-1で勝利を収めた
3番てダブルス うちのダブルスは勝率8割はある市内では負けなしのダブルス
しかし相手チームのダブルスも強い
そう ここでフルセットの末我々のチームのダブルスが負けてしまった
ここが勝負の鍵だったのだが…。
4番は石川 相手は相手チームの中ではそこまで強くない選手 正直石川なら問題ないと思った。
ちなみに5番は俺
うちの中学の砦なんて呼ばれていた チームが2-2になったときに俺の出番。
記憶にある限り1回しか団体5番手で負けたことはない気がする
ただプレッシャーはやはりすごいものだった なんせ自分が勝つか負けるかかで勝負が決まるのだから。

そんななか勝負は終わった
俺に回ってくる前に。 そう4番てが負けてしまったからだ 正直五分五分 勝つときは勝つし負けるときは負ける相手だったから仕方ない!
悔しかったが団体はここで終了。

個人戦
特に詳しく書く必要もないから省略すると県大会出場した
そして県大会で散った やはり県大会までになると1回戦から強いこがわんさか
自分は3回戦で負けた 白井と石川も県で負けた

中学時代のスポーツ人生は 卓球に注いだ
本当に楽しかった。
部活はこれで引退になったけどちょくちょく顔を出したりクラブにも参加してたりした。

ちなみに部活以外の話をすると運動会はクラス対抗リレーと100mばかりでてた。
部活対抗リレーってのもあって卓球部は優勝した。



高校編に続く。





【中学生時代】
卓球との出会い、始めたきっかけはPart1をご覧になった皆さんはお分かりであろう
小学6年生の終わりごろ、こどもの家と呼ばれる施設の管理人のおばちゃんとのラリーが楽しかった それだけの理由である。

中学1年生の春 部活動見学があった。
俺は真っ先に卓球部に行った。 どうやら自分の通っていた学校は市内では強いんだとか
顧問の先生と初対面 かなりのデブだった。 それはもうめっちゃ食べそうだし重そうだしとにかく動けるデブではないだろうっていうほどの。
その先生は1年生を集めて
「見学してる1年生集合ーこの台で打ってみていいぞー」
ラケット数本とピン球を用意していた。 その台に卓球部の人が入って1年生が交代で打っていく
俺の番が来た 自分はシェークを選択した これは事前に打ったことがあったからわかる 俺はこっち派だと。

先輩とラリー 結構続いた
先生に「時期エースはKUHN君かな?」と言われたのを覚えている
この言葉は忘れない この時点で名前を覚えてくれたしこの先生ならいい。そう思った瞬間でもあった。

5月に入ると部活動の本登録が終わって本格的に活動スタートとなる
1年生を集めてのミーティング
自分含め11人が入った 卓球部女子もあって女子は女子で同じくらい入ってたみたい
先生の名は「浅野」という 先ほども記述したが第一印象 デブ な先生だ。

先生は各自戦型をズバッと独断と偏見で告げていった。
自分は「カットマン」と言われました。
なんだそれって感じでした 床屋かよ的な
正直ラリーが少しできるだけで知識とかそういうのは全くなかったんで日々勉強の毎日でした。というかいつの間にか勉強してた
ちなみに俺の戦型

カット主戦型( - しゅせんがた)は、卓球において相手の攻撃(ドライブ 、スマッシュなど)を下回転(バックスピン)で相手に返す、卓球の戦型の中でも独特な戦型である。日本ではカットマンとも呼ばれる。

ようするに防御型。性格的には絶対にマッチングしない。
俺はスポーツでの性格は完全に主人公タイプの熱血漢だからだ
イメージクールな相棒みたいな戦系俺に合うわけがない
と そこまでは考えなかった なんてったってカットマンが守備型ってことすら知らなかったんだから。


カットマンとしての指導が始まったのは基礎が固まり始めたころだ
壁打ちやラリーの速度もだんだんと初心者から遠ざかってきたくらい

カットマンの先輩のプレイを見てて思ったが なんだこれって感じだった。
普通卓球っていうのは上から前に叩くものだと思ったいた しかしカットマンは 上から下にラケットをチョップして返すという打法が当たり前っていう なんていうか自分のイメージが崩された感じだった。

実際にやってみるとわけがわからなかった なんであんな打ち方で台に入るのって言う
しかし先生の指導はやはりすごい その日のうちに入るようになった
ちなみに我々の学校はマシンがおいてありそれを使って練習することができた
マシン練習は本当にスキルアップにつながる
とりあえずその日はフォアカット(自分より右の球を返す時に使う打法)を覚えた。

フォアカットを1週間くらい練習してたらとうとうバックカットが解禁
先生の話だとバックカットは7割使うことになるからよく練習しとけとのこと
で 先生が手本を見せてくれるんだけど
なぜこの巨体がこんな機敏に動く…。
先生は化け物でした。

で バックカットなんだけど
イボ高っていうラバーでして…これが難しい…。普通に打つと落ちるんだよねー。
慣れるまでかかりましたよええ。 カット以外にもつっつきっていう打ち方やら色々あって本当に練習練習また練習の毎日
ちなみに部活は休みなし 土日も練習ありました あったとしても1ヶ月に1~2回だったかな。

当然のことながら校内ランキング戦があります。
強いものがレギュラーの座を獲得するのは当たり前
全体で上位6位に入らないとまず団体戦で試合は出れません

まぁ普通は1年がレギュラーとか経験者でない限り無理ゲーです
越前や跡部は小さいころからの経験者だからあんなことができるんです
いわば俺は白石スタンス 努力する凡人。正直恵まれた運動神経ではなかったです。

最初のランキング戦は1年生のみでやりました
結果は3位。上位2名はちょっとした大会に出れるってことだったんですが残念ながら負けてしまいました。
皆さんもご存知だと思うけど 俺はハイパー負けず嫌い。こんな結果で満足するわけないっす

3年生が引退して2年生が主になる時期
我々1年は基本的に球拾い 先輩のプレイを見ながら球拾い

余談なんだけど自分はモテ気が終わったとなんどか言ったことがあったと思う
その最後のモテ気がこの中学校生活だったのだが
卓球部女子の先輩らにめっちゃ囲まれたっていうかなんていか…
当時の俺はそれが迷惑だったことしか覚えてない しかし今となっては もったいない

当時いやな先輩がいましてね 当時って言うか今も嫌いだけど
めっちゃ偉そうにする人って絶対いるじゃないですか そんなやつに目を付けられたわけですよ
女子に囲まれてたからとか生意気だとかで まぁ実質はむかってましたけどね うざいやつはうざいんで^p^
そんな中先輩の中にはすごい人もいて 市内で1位と2位っていう…
その先輩は毎回決勝戦で当たってるっていう ダブルスの大会でも無双してた

ちなみに言い忘れてたけど 浅野先生はこの中学校に10年いたってことでほかの学校に行ってしまったんです
浅野先生の指導で全国に行った先輩もいたって話しだったんですが本当に残念でした。
後々語ることになりますが顧問には本当に恵まれなくてですね この先生からの指導が3年間あれば俺はもっと強くなっていたと言えます。
浅野先生にお世話になったのは実質1年間だけ 自分らが2年になったときには顧問が変わってど素人の先生がきました この人はいるだけでこれから先の指導がないので俺らの世代は自分らで開拓していく感じでした。


先輩らの最後の試合 団体戦は結局西三河で負けてた気がする
結局2本強いだけで他が微妙だったから仕方ない
強かった先輩2人は県大会には出場してた気がする。その先は不明




そしてようやく 俺らの時代が来ます!!!







続く




俺とスポーツの話でもしよう



こいつと歩んできた時間は 今までに一緒にいたどの人間よりも多い 気がする。
いや家族のが多いか… いやそんなことは…
てか多いってことにしておかないと話しにくいからそういうことにしておこう


【幼稚園時代】
サッカーにはまりまくった それはもう鬼の如し
JリーグアイスとかJリーグポテチとか買いまくりでした。
ポジションはキーパーが多かった 理由はキャプテン翼の若林くんがかっこよかったから
幼稚園でサッカーのクラブに所属 そこではフォワードとして色々学んでいきました。
幼稚園の運動会でのリレーはとりあえず1位だったんですが 当時はそんなにすごいことなのかって感じでした。


【小学校時代】
相変わらずサッカーに専念。
しかしここで出会いがあった。 「スラムダンク」
皆さんはご存知だろうか 週間少年ジャンプで連載されていたスラムダンクというバスケット漫画を
このアニメを見て、俺の心が動きました。
わかりやすくいえば そう 浮気です。
今まで愛してきたサッカーを見捨ててバスケをやろうと思ったんです

だがしかし さすがに一途に定評のあるKUHNさん

小学校3,4年生の担任の先生 中西勉先生 彼が俺の心を引き止めました。
俺はその先生が好きでサッカー部の顧問をしていると聞き小学校4年になって部活はサッカー部に入ることを決めました

しかし中西先生は副顧問で本当の顧問はとんでもない鬼コーチでした。
サッカーが楽しくなくなった。 やることなすこと怒られる。
クラブで長いことやってたのになんで怒られるのかさっぱりわからなかった。
それが耐えられなくなって 俺は部活をやめました。 嫌いになりました。


部活にいかなくなってから俺が通うようになったのは、「子供の家」と呼ばれる施設。ここには小学校1年生のころから通ってたんですが部活だった時間が暇となり通うことに
ここはどんなところなのかというと

学区こどもの家は、小学生と学区住民のかたが利用できる施設です。 小学生に健全な遊び場を与え、学区住民の豊かな健康づくりとコミュニティー活動の充実を図ることを目的に、小学校区ごとに1館ずつ建てられています。この施設には、バレーボール1面分のコートをとることができるレクリエーション室と造形図書室があります。休館日は運営委員会が定めます。

だそうです。わかりにくいわ 簡単に言えば午前10時から午後6時まで開いてる施設で室内スポーツの大部分ができる体育館と図書室が一緒になった施設
そこで安いバットとゴムボールで野球もできるし、小さなサッカーのゴールもあればバスケのゴールもある。卓球台もあればバトミントんもテニスもできるっていう今思えば夢のような施設。
俺はここで育ったんです 今でもよーく覚えてるよー 当時7才~12才の俺が走り回ってたよー

ここで何をしてたのかというと 主にサッカー。
忘れられないわな あとバスケもやってた 野球は誘われないとやらんかった あんま得意じゃなかったし

そしてこの場所で俺の運命を左右するスポーツに出会った。


卓球である。


こどもの家には管理人として一人大人がいます。おばちゃんとかおじちゃんとかは日によって変わるんだけど おばちゃんとなぜか卓球をやることになった。
まったく興味もなかったしルールも知らなかったけどおばちゃんが色々教えてくれた とりあえずラリーを続けるのが大事って言うのは把握した
ラリーが続くのが楽しい 長いこと失敗せずに続けたい たったそんだけだったけど卓球にはまってしまった。






中学生編に続く


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